大人になること。
『 生きづらい世の中だね。』
そんなふうに
世の中を謳うようになったのは、
大人になった証かしら。
・
“ 大人になること ”
それが意味することはなんだろう。
一度、心に尋ねてみて欲しい。
わたしの“ 大人になること ”は
“ 怒ること ”が出来なくなることであった。
出来なくなる、というよりは
方法を忘れる、のほうが
表現は適切かもしれない。
そんなわたしが
“ 怒ること ”を思い出した話を
こっそりしよう。
・
女性であるということ。
わたしは誇りに思っている。
しかし、そうでない瞬間もあった。
女性であることを
恨み、悲しみ、憎んだことがあった。
こればかりは
不可抗力というのかしら。
意思に反して、力という力で
身に纏うものを
身体と心の自由を
生きた心地を
奪われた経験がある。
記憶はやけに曖昧さを帯びているのに、
感情はやけに鮮明である。
そのときのわたしは
激しい濁流に逆らうことは
こうも無駄なことなんだなあ、とか
呑気なことを考えていたように思う。
女性であること。
人間であること。
わたしであること。
全部ぜんぶ虐げられたような感覚。
恐怖。苦しみ。悲しみ。虚しさ。絶望。喪失感。
ひと口に名前を付けられないほど
色んな感情が入り交じっていた。
一度黒に塗ってしまえば
どんな色を混ぜようとそれであるように、
黒一色で心が覆われていた。
ただ思えばそこに、
【 怒り 】だけはいなかったように思う。
どうしてだか、
ひとり置いてけぼりにしていたように思う。
その事実でさえも、
当時は気付かずにいたのだけれど。
・
そして、一年の月日が経つ。
そして、恩人に出会う。
ある蒸し暑い晩
彼女とビルの屋上で胡座をかいて月を見つめていたら、
ふと 話したくなった。
わたしが女性であることを、
取り戻したくなった。
ありのままを話した。
半分ヤケになっていたのかもしれない。
彼女は怒った。
憤怒した。
優しい眼差しだけはそこに据え、
わたしのために怒ってくれたのだ。
わたしは驚いた。
無理に同情することはせず、
彼女は“わたしの友人である彼女”として
怒ってくれたのだ。
「 わたしも怒っていいんだ。」
“ 怒ること ”をわたし自身に許した瞬間、
ようやく涙が溢れ出た。
一年前のわたしの涙が、今になって出てきた。
涙だけではない。
それがほかの感情と手を繋いで出てきてくれたおかげで、
みんなまとめて手放すことが出来た。
しとしとと、
春雨のように涙降る夜であった。
・
さて。
“ 怒ること ”を忘れて、一年。
“ 怒ること ”を思い出して、一年経った。
こうして顔の見えないあなたに
わたしの決して綺麗だなんて言えない過去を
手渡すことが出来ているのは、
お祝いだなあと思う。
大人になることは、
経験を積み重ねることだ。
存在しなければよかった経験でも、
それが存在したから今のわたしが存在する。
時間を掛けて、
経験を自分の一部にしていけばいいと思う。
・
もう一度、あなたに問いたい。
“ 大人になること ”
それが意味することはなんだろう。
怒ることを忘れるのは
大人になった証でもなんでもない。
生きづらい世の中だなあと謳うことも
大人になったからで済ませたくない話である。
大人になることが、
感情を疎かにしてしまうことや
生きることに後ろ向きになることならば、
わたしはずっとずっと子どものままで居ようと思う。
それならば、
大人を嗜むことが出来る日まで
子どもで居ることを嗜もうと思う。
『 生きづらい世の中だね。
それでも生きていたいよね。』
生きることを優しく願える、
その日まで。