natural.
林檎が熟したから、採る。
ただそれだけのこと。
「自然と、」
いつの間にか口癖はそれだった。
本当に大事にしたいものは、
わたしさえ知っていればいい。
あとは流れに身を任せたいなあと思う。
そんな口癖、もっというと、わたしの思考の癖に気づかせてくれたのは、ひとりの大事な存在だった。
「あなたはどうしてブログを書くの?」
ふいに、聞かれた。
答えはシンプルだ。
「言葉がわたしのために生きてくれるから。」
紙の上、画面の上。
はたまた誰かの心の何処かに、
その瞬間にわたしが生きたという証を優しく残しておきたい。
要するに、わたしによるわたしのためのエゴ。
だからこそ、
「~な文章を書きたい」 という意志を持って
言葉を生み出したりはしない。
自然と、湧いてくる心からの願いに気付き、
言葉にし、世に放ってあげる。
それでいいと思う。
わたしの想いを、
知りたいひとが知ってくれたら。
耳を傾けたいひとが傾けてくれたら。
それはやっぱり、ほんのりと嬉しいけれど。
いつでもわたしはわたしのために、言葉を紡ぐ。
それがいいし、それはとっても心地良い行為だ。
自然と、何かをすること。
易しいことではないかもしれないけれど、
自分のために生きているようで、どうしようもなく優しい気もする。
ましてやそれが誰かのためになったのなら、
それはそれは素敵なことかもしれない。
自然と、生まれた言葉を使い、
自然と、生まれた興味の芽を摘み、
自然と、生まれた夢に足を向け、
自然と、生まれた愛を育む。
自然と、生まれた生命。
自然と、死に向かうそれ。
そんなわたしたち人間に、
ぴったりお似合いな生き方ではないかしら。