零れ落ちない内に、必死に心に書き留める。
ただただ、夢中だった。
そこにあるものを、何度も何度も手に取っては確かめ、手に取っては愛おしく思う、そんな時間だった。
目の前に座る皆が、一言たりとも逃さまいと意識を向けてくれていることがわかった。
だからわたしも、湧いてきた想いをいつもの何倍も丁寧に丁寧に、大事に大事に掬い取った。そうでもしないと、誠実じゃない気さえした。
与えられた時間の中で、ひたすらにわたしがそこにいる意味を感じたし、目の前で聞き耳を立ててくれる彼や彼女らと、それを共有できた心地もした。
ひとしきり自分の話を終えた後に、皆に数々の問を立ててもらったけれど、
「生きる上で大事にしていることは?」
シンプルなこれは格別に好き。
するりと思考を交わして心から浮いて出た答えは、
「無理をしないこと」。
それは「楽をすること」とはまた違う。わたしの持つ言葉の中で見繕うと、「自然体で生きること」がいちばんぴったりと似合うように思う。
人生において、ひとは何度も何度も選択を迫られる。いつ、どんな時に、どんなものの中から選び取れるかなんて誰も知り得ないから、大きな選択に対して、恐怖や不安に近いものを覚えるんじゃないかな。
ただ、備えておくことは出来ると思うんだ。
いつその時が来ても大丈夫なように。
わたしは、いつだって自分を信じてあげられていれば、どんな選択をしようとそれがその瞬間のベストな答えなんだと思う。
まずは自分の自然体な状態を知ることから、愛すべき自分を認めてあげることから始めてみよう。
(ここはあんまり言語化出来ていないから、また今度ね。ほら、無理はしない、無理はしない。)
さて。
長い長い前置きはさておき、生まれてはじめて、ゲストという形でオファーを頂いた。
それに加えて、社会人という肩書きをぶら下げて誰かの前に立つのは始めてで、背筋がしゃんとした。
“生きること”という、大きく広く、深く尊く、貴いものにみんなが触れる。
そんな時間に、わたしの時間を重ね合わせられることはとても光栄だったし、背中を押すことなんてしたくないけれど、あなたがあなたでいてくれれば大丈夫だからね、と、不安な未来に少しでも期待や安心を添えられたのなら嬉しいなと思う。
今のお仕事は素敵なお仕事であり大好きなお仕事だけれど、そんなことは横に置いて、わたしの思考、信じるもの、愛するものの愛し方、みたいな、目に見えないそれらに好奇心の矛先を向けてくれたこと。
とてもくすぐったくって、終始照れくさい気持ちだった。
それと同時に、目の前に座る彼や彼女の思考を覗きたくなったし、奥底に流れる愛に触れたくもなった。
ああ、愛おしい時間はいくらあっても足りないね。
そうそう、わたしはわたしのこともみんなのことも信じたいんだという話をしたときに、ある男の子が「信じた末に裏切られたときはどうするの」といった問を渡してくれたの。
はっとした。そうか、わたしはそんなことを伝えたいんじゃないんだ、と。
信じた先にどんな結果が待っていようが言ってしまえばどうだって良いし、
もっと言うと、信じようが信じまいがどっちだって良い。
信じるという行為が、わたしにとって生きる行為そのものであることを、皆に知って欲しかったんだ。
「何をしている時の自分が、一番愛すべき自分であるだろう。」
それを知っておくだけで、認めてあげるだけで、愛してあげるだけで、どれだけ生きることが豊かになるのか。
わたしはわたしの生きることを以て、そんな答えを見つけたよ。
きっとそれが、わたしが今日この場において一番伝えたかったこと。
(もちろん意識なんてしてないだろうけれど、)
ひとつの問とともに、そんな大事なものをこっそり教えてくれた彼には、とびっきりのありがとうを贈りたいし、そんな彼のことも当たり前に信じたいし、彼が愛する彼はどんな彼だろうと、ひたすらに考えてみたい。
そしてまた会えたときに、今度はわたしがこっそりと、耳を傾けてみようと思う。
・
素敵な場に、ともに手を添えられたこと。
嬉しく、そして誇らしく思う。
おかげさまで、わたしも働くことと生きることに対して、もっともっと大事に向き合えそうだよ。
ココカラカイギのみんな、どうもありがとう。